これは事実だと思います。
それは
教えている先生に、習う生徒さんを上手くさせられる
確証を持たないからです
なぜなら教えてる先生本人が上手く歌えてるそのものの
確証を持たない為です
(私はこうしている、あなたはそのことをしていない!
が ないのです)
持っているのは
自分は上手いという自惚れと、
迷える生徒さんよりはましという器用さ程度のもの
自転車に乗れない人、自動車に乗れない人を
まず乗れるようにする教習所であるべきと思う
(何年も習ってるのに成果のない教室からは離れたほうがいい
後は馴れ合い(同好会)になるだけです)
確証のない・まやかしには、受け渡しが起こらないのです
『聞けー!悟れー!』ではダメなのです
(同じように取り出せない、マネできないのが問題なのです)
車に乗れない人に初めから曲乗りは無理
声の出ない人にメリハリだの、説得力だの、語るだの無理
(基礎は明快です・単純化します)
私は長年追い求めたことから、
声の道理(発声身体力学)に気付きました
私が気付いても、習う生徒さんに気付きを起こせなければ
何の意味がありません
私は 習う貴方に、気付き起こさせる理論と実践があります
貴方を、『分かった!』『これなんだ!』と気付かせる自信があります、
感動しますよ!
そしてそれは一過性でなく自転車に乗れた同じ、一生ものです
(気付かないのも、一生もの だから万年素人なのです)
嘘だと思ったら 来て下さい!
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