世の中の優れた人の分け方に
天才派と努力家の分けることがある
これは他人からでも、自分からでもどちらかに
思えると思う
あの人は天才よね・・・、私は天才なのだ・・・
あの人は努力家だね・・、私は努力家です・・
これでは優れて出来てることの
何の原因の説明もしていない
むしろ原因は曖昧のままだ
わたしは
闇雲と道理で分けて考える
優れた人には道理がある
出来てない人には、多くの闇雲がある
天才派は道理を、幸運な環境の中から自然喪失しなかった人
(取得ではなく)
努力家は道理を、試行錯誤の中から再度取り戻した人
(産声を100点とした時、大人は出せない・見失った!)
出来ない人は、不運な環境から思い付きの闇雲に成った人
出来てる人は、物事をよく観察し、道理に気付いた人
道理と闇雲の違いは、なぜか はっきりと頭と体で分かる
問題は道理の道をふさぐ環境が、開く環境より圧倒的に多い、
だから正しい指導者を選ぶことが至難となる
ちなみに
姿勢・フォームを正す人は、道理派
音程・メリハリを正す人は、闇雲派
と思う
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