私のボイトレとの出会い
十数年前頃から当地でもカラオケ大会成るものが、
とても盛んに行われるようになりました。
素人がマイクを手に持ち、カラオケという伴奏をバックにして、
更に人前で歌うというステージ(照明・スポットライト)までも・・
まるでプロ歌手さながらの衣装までまとって・・・
歌好きから、いつか上手さを競い合う歌謡選手権へと・・
恥ずかしながら、実は私もその一人でした
(今ではこのことは隠したい位です)。
その大会の賞を狙う為に、カラオケ教室の数人の先生にも通いました。
その幾つかの大会の中で、本当に上手い人達と出会った時に、
明らかに自分に欠けている部分がある、
自分とは根本的に違う部分がある、
(才能の違いと認めざるを得ないような圧倒的上手さ・・
同じ歌好き同士でのこの差・・・自分はあんな風に歌えない)
このことに次第に気付かされていったのです。
(カラオケ教室風の『~のように、ここは優しく、強く』の指導ではできない)
その上手い人達には、
何か分かった事をしている『冷静な大人の部分』がある。
私には、
一生懸命に熱唱する事しかできない『がむしゃらな子供の部分』しかない。
そう思い、発声の違いのようなものを次第に感じたところから
思い切って声楽の先生を訪ね師事しました。
当然そこでは、カラオケはありません、ピアノによる日本の唱歌でした、
最初のレッスンの日、
選曲も決まってちょっと歌ってみてくださいと先生の指示、
カラオケで鍛えた声には自信ありと、
なんと私は、声を張り上げて歌い上げ始めました、
先生は、思わず伴奏のピアノの手をすぐさま止められ・・・
そのあと、先生は静かにピアノを弾き始め歌ってくれました。
自分と先生との差に驚きました。というより赤面しました。
カラオケを歌う中で、とんでもない思い違いをしてることに・・
学生時代にコーラスに所属していましたので・・一瞬に、そこに戻されました。
今思えば社会に出て、歌うこともなく、一生懸命働いて、
ブームのカラオケに出逢ったものの
その間に声と身体の関係を見失ったのだな・ と今ではつくづく思います。
ここから声の勉強・ボイトレが始まりました。
(そこでは、コーラスの時代には、教わらなかった事も沢山ありました)
心を表現するためには、裏打ちされた技術が必要。
どの芸術ジャンル(絵画、舞踊)でも同じだと思います。
『心を込める』だけでは『心が現れ』ない、
といって技術ばかりが見えるのも『心が現れ』ない。
真実の「空」
「ある」ことを知った上で、「何もない」状態になること
動揺しないこころを育てること
偽りの「空」
「ある」ことを知らず、「ない」と思い込んでいること
どうしよう・どうすればいいのかと迷うこと
ものごとが有ることを知って、 はじめて
無いことを理解できる これがすなわち空である 宮本武蔵
今も、この言葉を味わいつつ勉強し続けています。