身体に覚えさせる の意味?
舞ならば振りや手順、歌なら節回しや詩文を、スポーツならフォームを、
繰り返し練習することで身体にたたき込む(歌でよく言われる歌い込む)。
このことが身体に覚えさせるという事でしょうが? この事ではありません。
この課題に関しては、目に見えない音よりも、
目に見える舞の方が理解しやすい。
舞においてはしばしば鏡の前で練習する。
この練習は、自分自信の「動きの体感」と、
現実の姿(第三者にどのように見えるか)とを関連付ける練習になる。
この練習によって、「こう動くと、こう見える」、逆に「このように見えるには、
このように動けばよい」というようなことが解ってくる。
これが舞でいうところの「身体に覚えさせる」ということ。
では発声の場合はどうでしょうか。
残念ながら、自分の声を鏡に映しながら練習するようなことは不可能。
自分の声は自分の耳に聴こえますが、
自分の耳には、空気を伝わってくる声と、
身体内を伝わってくる声が混ざって響いてきます。
発声の練習で難しいのはここです。
テープに録音して聴き直す方法も考えられるが、
かなり性能の良い機材を使わないと正しい判断ができない。
たとえば、「ラ」の高さを発声する際には、
自分の声帯を毎秒440回の振動を起こす状態に準備して声を出す、
こんな高度な作業を声帯にやらせているわけだがが、
普通に歌える人なら何でもないこと。ほとんど無意識で歌えます。
この難しい作業をいとも容易くやってのけるのは思考ではなく反応・体感です。
もし体感覚が失われたなら、まともに歌えなくなるでしょう。
ステージで上がってしまって、いつも出来ていることが、
その通り出来なくなって失敗することがありますが、
それは気分の極度の緊張が反応・体感を狂わせてしまうからです。
反応・体感覚は、実践においては思考よりも正確で俊敏で頼りになる能力。
このすばらしい体感の能力は、
誰もが生まれながらに持っている本能的能力には違いないのだが、
磨かなければその凄さは発揮されない。
たとえば、舞の初心者は「この時の腕の角度はこうです」と教えてもらっても、
次ぎに舞う時には角度が違っているでしょう。
三度目は、また違う角度になるでしょう。 ところが上達すると、
習うと即座にその角度を身体が覚えてしまえるようになる。
腕の角度だけはなく手や指先の使い方まで一瞬の内に覚えてしまう。
体感とは自分の筋肉の動きを探知する神経網(センサー)のようなもの。
つまりこのセンサーの性能を高めることが体感を磨くということ、
この過程を「身体に覚えさせる」ということです。