自然体の知覚
自然体がいい!と叫ばれるが・・・?
自然体でいいと言われれば、今の感覚のままで、
何も余計な事(練習も含め)をせずに、
思うまま歌えば良いということなのだろうか?
健康体で充実していれば、
そのまま身体を使って充分楽しむ(歌う)ことができるだろう。
(その自然さに勝るものはないだろう)
だけど、
痛んだところがあれば、治し
力不足の所があれば、鍛えて少し強くし
思い込みに間違えがあれば、修正し
悪い癖があれば、取り除き
・・・・
自然体に成れた人が自然に歌えるのであって
いろんな不自然な部分(歪み)を持ってる人には、
正す方が先だと思う。
(不自然でも、慣れてしまうと、本人には、自然に感じてしまうことも)
(現代人は、当たり前のことが当たり前で無くなったとも)
歌の不快感・不出来感は、不自然さが最大の要因だろう。
歌の上手い・下手は、自然・不自然が一番元にあるように思える。
‘あり方・あり様’としての自然体には、そんなに異論はないと思う。
(だが、これが一番難しいことのようにも思える)
人それぞれの不自然さがあるため、自然に導く為に
トレーニング(リハビリ)が個別的に必要となってくる。
何事も自然に出来ている時は忘れているもの。
(健康な時は、何も感じないように)
とことん練習した上で忘れる。それが一番良いと思う。
正しく出来ているか否かを判断する基準は、
そのことが楽に出来るかどうかだと思う。
正しい行為は、自然の法則に適っているので、楽なはず。
それに反して、不自然な行為には苦痛が伴うもの。
不自然な身体からでは、自然の道理を取り込めない。
ただ自然には、いつもの顔もあるが、2度とない一瞬の顔もあると思う。
自然自体も、決めつけられるものではく、森羅万象の変化を見せる。
(不自然な惨事も)