声の発見 (声に生まれ変わる(成る)快感!)
日本の環境で、日本語を話す話し方からは解らない・気づかない
声との出会いなのです。
声の為に息がいるのでなく、息が声に成るのです。
声は口腔から外に出すのでなく、声は上顎の上に置く感じで歌う。
声を出そうとするから、絞り出すような力(腹部の圧迫感)が要る。
声を置くだけなのでそんなに力は要らないのです。
声を置くとは
あたかも息が脳の中で声に生まれ変わる感じがして
何とも言えない、ハイな感じ(快感)になるのです。
ゆっくりした息から声に変換されます、このとき何も境目がなく
頭の中で脳を優しく包むような感じです。
つまり流動的な音が、いったんいろんな共鳴を含んだ音として結晶させ
それを脳が一度味わう、その後において空間に放たられる。
声を出すとは
この置く作業の響きの結晶がないまま放出ということになる。
(だから声に味わいがない)
声の発見は息の流れと結び付きます
喉で声に変換(喉鳴り)を少しでも感じると、喉頭に力が入る
それは、息の流れのブレーキとも成ります
そこでお腹に力を入れて、ふかすアクセルが必要となるのです。
またそのことが、喉に力がまた入る悪循環になります。
ここからリキミが生まれる最大の原因!
喉は力を抜くというよりは、ゼロ状態で何も感じないのです。
声帯は、むしろ息の流れで閉じられる(ベルヌーイの定理)ので
息の流れを止めない限り、楽に声に変換されます。
息の流れは、最初の力で、後は慣性の法則で
ブレーキをかけない限り、強いアクセルは必要ないのです。
声に成る息を吐き続けること(ここに息の支えの必要性が生まれる)